矢ケ崎 淳子

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※本ページ記載の役職は作成日現在のものです。

矢ケ崎先生記事

紆余曲折があっても、後にこれでよかったと思える人生にしたいですよね!

明治大学法学部 教授 矢ケ﨑 淳子

【異文化への興味】

何故かわかりませんが、小学生の頃から異文化への興味と留学への憧れがありました。愛読誌はお小遣いで定期購読していたStudy Abroadという月刊誌でした。父は地理学者でしたが国内の研究を主としており、特に「国際的」な家庭環境ではなかったのに不思議です。高3の秋にグルー基金というアメリカの大学へ4年間留学させてくれる奨学金に応募し、最終面接まで行きましたが惜しくも次点でした。落胆した私をみて可哀想に思ったのか、両親は日本の大学を受験して落ちたら留学させてくれると言ったのです。その5ヶ月後、合格してしまったため4年間の海外留学という道はなくなりました。入学後、1年だけという約束で私費留学を許可され、アルクなど留学援助機関も全くない昔のことですので、1年がかりで大学選びからSATやTOEFL受験、大学との連絡など、準備のすべてを自分で行い、アメリカより安全だという親の希望もありカナダのモントリオールにあるMcGill大学へ留学しました。カナダのガイドブックもまだ書店になかった1976年のことで、留学中の1年間で出会った日本人留学生は大学院生と社会人の2人だけでした。それまで短期の経験はありましたが、初めての長期の、しかも日本人がいない環境での異文化体験の中でとても親しい友人ができて、そこで一つの大きな疑問を持つようになったのです。文化が違うのにとても心情的に近しく感じられる人がいる一方で、同じ文化の人間でも全くそうでない人もいる、これはどうしてなのだろうか。文化の違いとパーソナリティの違いはどちらが大きいのだろうか、という素朴な疑問でした。これがその後の私の研究の原点です。また、McGillでAnthropology(人類学)という学問領域と出会い、それにも興味を持ちました。当時、東大では英文科の学生だった私は、帰国後、この疑問を心理学の先生にぶつけてみましたが満足な答えを得ることができませんでした。McGillでの留学経験から人間と文化の関わりという問題を考えていきたいと思ったのです。その後、紆余曲折を経て、専攻を変更し筑波大の修士課程でアメリカ研究を文化人類学視点から行い、修士論文は留学中に興味を抱いたユダヤ系アメリカ人のアイデンティティを扱いました。その際、指導教官だった故我妻洋先生の強い勧めもあり、フルブライト奨学金を得て、一橋大院を経てUCLA(カリフォルニア大ロサンゼルス校) のAnthropology博士課程への留学を果たしました。この2度目の長期異文化体験の1年目に夫と出会い、彼は数学、私は人類学でのPhD取得目指して頑張りました。博士論文は日本に長期滞在するアメリカ人への面談調査をもとに成人の異文化体験の分析を行いました。

【仕事と子育ての両立】

UCLAでPhD取得後、私は日本、彼は英国の大学で職を得たため英国での挙式と同時に別居となり、夫が北大に奉職して帰国した後も別居は続きました。そのため子供の誕生後は母子家庭状態でしたので本当に大変でした。出産時にいた前職場は昔のことでもあり働く女性教員にあまり理解がなかったため、仕事に穴を開けないようにすることで精一杯でした。毎日毎日が自転車操業で、何もかもが中途半端と落ち込むこともありました。夫は隔週で札幌から帰京してくれましたし、子供の学校の行事にも出来る限り出席するように努力してくれました。家事が何でも出来る人だったことがとてもありがたかったです。母子家庭状態のまま、在外研究での3度目の長期異文化体験は子連れでアメリカ・オレゴン州の田舎町においてでした。子供の世界を通して、学生時代には経験できなかったアメリカ社会の一面に触れることができました。非常に貴重な体験だったと思います。この時も夫は2ヶ月ごとに数日間の滞在でも日本からアメリカまで会いに来てくれました。息子本人には不本意な渡米でしたが、あっと言う間に異文化に馴染み、帰国後も英語の環境で学ぶことを自ら選んで現在は留学中です。最近ふと気がついたのですが、彼は私が昔、望んでも叶わなかったことを全て自分のものにしているのですね。9歳でアメリカという異文化に連れて行かれたことで人生が大転回した彼が、それを肯定的に受け止めてくれたことをありがたく思います。多くの迷いや不安がありました。結果オーライですが、非常に危険な賭けだったとも思います。

【学生・若手研究者へのメッセージ】

細々でも研究・仕事を続けていくことが重要だと思います。一旦辞めてしまうと再開するのが難しくなります。また、私の場合は家事を何でもできて、また、することを厭わないパートナーであったことが幸いでした。「手伝う」という感覚ではなく、「義務を共に分かち合う」というスタンスが精神的にも助けになりました。

【第3の人生】

若い時には北米大陸の他に、南米・欧州・アジアの一部・北アフリカの一部など多くの旅をしました。国内外のこれまでの経験全てが人間と文化の関わりを考える上で貴重な資料となっています。人間にとって文化とは何なのか、奥の深いこの問題について楽しみながら私なりの考察を深めて行きたいと思っています。子供が家を離れ、以前よりも自分のために時間を使うことができるようになったこれからを「第3の人生」と位置付け、McGillでの原点に立ち返りながらさらなる追求をしていきたいと思っています。研究者・教員・母親・妻・老親を抱えた娘という複数の役割を担って生きてきて、全てが不完全で全くロールモデルにはならない私ですが、アドバイスが1つあります。人生、思い通りにならないことも多いですが、運命を受け入れて精一杯生きて、後になってこれでよかったと思えるような生き方をしたい、そういうポジティブ思考が様々な局面で精神的に助けになるということです。無我夢中で走ってきましたが、今になって思うと、これまでの様々な経験が、人間と文化を理解しようとする私の研究の一部になっていると感じます。人生はまさにフィールドワークなのですね。道はこの先も続いています。